伊能忠敬の像
- 2018/05/18
- 09:39
出張の帰りに富岡八幡宮へ寄ってきました。
去年、宮司の日本刀での殺人事件があったので雰囲気ありますかね。

でも青緑の屋根と朱色の柱とのコントラストが美しい建物です。

境内に伊能忠敬の銅像があったので、説明書きの一部を抜粋
― 約200年前の寛政12年閏4月19日(陽暦では1800年6月11日)の早朝に当宮に参拝して蝦夷地(北海道)測量の旅に出かけました。忠敬先生はこのときを含めて全部で10回の測量を企画しましたが、遠国に出かけた第8回までは、出発の都度必ず、内弟子と従者を率いて富岡八幡宮に参拝して、無事を祈念したのち、千住、品川宿など測量 始地点に向かって歩き出しました。当宮は伊能測量にとってたいへん御縁の深い場所であります。 ―

気になったのでは、伊能忠敬の銅像が握っている杖の形で、実は伊能忠敬はVRS測量していたのではないかと(笑)

参考までにアンテナを付けたポールと比較。
※背景は会社の鳥の巣箱です。

道具(の形)でも時代を先取りしていたのかと、先人への思いを抱きつつ富岡八幡宮を後にしたのでありました。
(文責:の)
去年、宮司の日本刀での殺人事件があったので雰囲気ありますかね。

でも青緑の屋根と朱色の柱とのコントラストが美しい建物です。

境内に伊能忠敬の銅像があったので、説明書きの一部を抜粋
― 約200年前の寛政12年閏4月19日(陽暦では1800年6月11日)の早朝に当宮に参拝して蝦夷地(北海道)測量の旅に出かけました。忠敬先生はこのときを含めて全部で10回の測量を企画しましたが、遠国に出かけた第8回までは、出発の都度必ず、内弟子と従者を率いて富岡八幡宮に参拝して、無事を祈念したのち、千住、品川宿など測量 始地点に向かって歩き出しました。当宮は伊能測量にとってたいへん御縁の深い場所であります。 ―

気になったのでは、伊能忠敬の銅像が握っている杖の形で、実は伊能忠敬はVRS測量していたのではないかと(笑)

参考までにアンテナを付けたポールと比較。
※背景は会社の鳥の巣箱です。

道具(の形)でも時代を先取りしていたのかと、先人への思いを抱きつつ富岡八幡宮を後にしたのでありました。
(文責:の)